2017年12月25日月曜日

その目を手に入れる人々

20代はとっくに過ぎ去った過去で、30代はもうそろそろ終わりが見えてきて、時々ふと感じることがあります。

20代の頃ほどのジョブパッションを引き出せなくなってる。

勿論、ジョブパッションその物が人並み以上に低いのでは?という感覚は無いのですが、20代の頃の野生の獣の様な、全てを犠牲にしても、目的達成の為に猪突猛進するモチベーションを引き出せなくなっているような気がする。

あくまで気がするだけなのですが、体力や身体的な限界がどんどん低くなっているのが原因かもしれません。

30代はそういう意味合いにおいては、限界ギリギリのラインでやれるだけの事はやったかな?とまだあと少し残っていますが、ある程度満足しています。

40代になった時、目が大事だと思うのであります。

目というのは、視力の事では無くて、”何が見える?”という意味であります。

人を見たとき、景色を見た時、情報を見た時、組織を見た時、まぁなんでもそうですが、何かを見た時にどう感じて、どう考えて、どう行動するかを見極める目であります。

どういう目を持っているかを決めるのは、30代をどう過ごしたか?で全て決まるというのが筆者の持論であります。

なので、終盤において今更どう足掻いてもやり直しは利きませんので、毎日毎日、飽き足らず、飽きて飽きて、嫌でも投げ出さずに続けて、意識して積み上げたこの一石一石がどれ位の物だったか能力の品評会が40代であります。

なので、まぁ40代は結構楽しみであります。

孔子の名言にこういうのがあります。

”最大の名誉は決して倒れないことではない。倒れるたびに起き上がることである”

20代では決して呑み込めなかったこの言葉の本当の意味は今なら分かるようになりました。

意味が分かるというのは、本当に懐が深くて、本当に懐に落ちますと、行動に変化が現れます。

言いたい事は分かるよというのはまだまだであります。

この言葉の意味が腑に落ちた時から、結構チャンスを見極められるようになりました。

危険な状況でも、良い物を悪い物が見分けられるようになり、有象無象の危機からキラリと光るチャンスが刹那に垣間見る事が出来る、ような気がするようになってきました。

とりわけ、陸友ファクトリーで務めた2017年はこの危機的状況から自身の欲に捉われず、お役目を忠実に果たすことに徹して、例え自身が悪い立場になろうとも、一切保身を顧みずしっかり1年大きな事故も無く、最後まで打席に立ち続けられました。

大切なのは、何があっても打席に出ることであります。

結果は後から着いてきます、積んだ石の高さ分だけ、着いてくるように。

そう信じてやまないのであります。

今年一年、様々な出来事がありましたが、皆様が健康に、H-Dという2つのタイヤで不安定ながらも、走り出せば足を着かずに加速できる不思議な体験のお手伝いをしっかりできた事に感謝致します。

そして、ご満足頂けなかった技術者としての未熟さを今以て改め、来年からの活動に生かす所存であります。

ありがとうございました。

きっと来年も危機や様々な変化が陸友ファクトリーを翻弄するかと思いますが、それでも経験値と長年の安定感をもってして、このファクトリーを守るのが筆者のお役目であります。

来年も陸友ファクトリーを宜しくお願い申し上げます。

最後にクリスマスを目前にして亡くなった、敬愛すべき、織戸幸正氏に最大限の敬意を込めて冥福を祈ります。

守ろうとしていた物や歴史を誰かが引き継いでいる、それは嬉しいじゃありませんか。

きっと筆者なら、無念ながらも、少なからず嬉しいです。

ですよねぇ?織戸会長!貴方が頑張ったから筆者も此処に居るんですよ。



名門、陸友。